ダメだし

おととい、ある人からダメだしをうけた。

たしかに私はまだ未熟だけれど、
そんな言い方をしなくても...と、心が折れた。
もう帰ろうかと思ったけれど、
場の空気を読んでぐっと我慢した。

今日、Aさんが私のところに来て、
「おととい、言われてたことね、
ぼくも言われたことがありますよ。」と小声で話してくれた。
私は返す言葉が見つからず、苦笑いをした。

おととい、私の顔がひきつっていたの見られていたと思うと、
とてもはずかしい。
ダメだしって、つらいし、はずかしい。

 

コップ半分の水

「コップ半分の水を見てどう思うか?」という話は、
よく聞く。

まだ半分残っている!と思うか。
もう半分しか残ってない!と思うか。

私はあきらかに後者で、
調味料なんかも封を開けたら、すぐストックを買っておく。

スマホのバッテリーも50%なんてありえなくて、
70%くらいになると、充電してしまう。

完璧主義っぽい性格のせいだろうか?
それは育ちのせいか?

たとえばテスト100点満点で50点とったら、
親や先生は決していい顔しなかった。
50点もとれて、たいしたものだ!と褒められて育ったら、
もっと、おおらかな性格になれたかもしれない。

「足るを知る」ができたら、もっとラクに生きられるだろうなあ。

お文具さんのアニメ

ちょっと心がへこんでいて、
元気になれる動画をさがしていたら、
「お文具さんのアニメ」がおすすめに出てきた。

かわいいキャラクターがなぐさめてくれて、
たしかに癒される動画だったが、
私の心は沈んだままだった。

ふと、3000以上もコメントがついていることに気づいて、
すごい数だなあとコメントを少しずつ読んでみた。

つらい人がこんなたくさんいる、
私だけじゃないんだ、と思えてきて、
少し心が軽くなった。

お文具さんのアニメはもちろん癒されるけれど、
そこに寄せられたコメントから、もっと癒しをもらえた。

練習

練習しても練習しても、
うまくなっているかどうか、わからない。

セッションに行ってみて、ためしてみるけれど、
うまくなったと思えない。

それに、私よりうまい人が来ていると、
比べてしまって、へこむ。

負けたくないから、もっと練習する。
でもまた別の「うまい人」が現れて、
練習しなきゃと思う。

私よりうまい人は無限にいるから、
きっと永遠に「「練習しなきゃ。」と思い続けるのだろう。

考え事

夕方、仕事がおわって、近所に買い物に行こうとした。
仕事のことで気になることがあって、
考え事をしながら、でかける支度をした。

マンションの階段を下りて、玄関を出た。
視界がぼやけていたが、雨上がりでモヤがかかっているのだろうと思った。
2~3分歩いて、ハッと気づいた。

「私、めがね、かけてない!」

私は強度の近視で、めがねなしではほとんど見えない。
めがねなしで外出するなんて、ありえない。

考え事をしていたから、おぼえていないが、
たぶん、セーターに着る時にはずしたのだろう。

しかし、よく、マンションの階段を下りることができたなあと思う。
めがねをかけていない自覚がないから、こわくなかったのだ。

考え事をしていたのに、足は勝手に動いていた。
足を動かしていたのは、一体誰だろう。

止まってくれた車

横断歩道のない道を渡ろうとしていた。
そこは、結構車が通る道で、
車がとぎれるのを待っていた。

とぎれるのを待っていた私の前で、
1台の車が止まってくれた。
「渡っていいですよ。」という意味だ。

私はその車に軽く頭を下げて道を渡り始めた。
渡っている間、気づいた。
私のために止まってくれた車の後ろに
3台くらい車が止まった。
(止まらざるをえない状況になっていた。)

私は、最初に止まってくれた車にだけ頭を下げたのなら、
その後ろに止まった3台にも同じように頭を下げるべき?と一瞬思った。
でも、わざわざ3台に頭を下げに行くのも変だから、
さっさと渡った。

頭は下げられなかったが、心の中でお礼を言った。

もやもやを言葉にしてみる

誰かに何かを言われて、もやもやとした気持ちになる。
その「もやもや」を日記なり誰かに話すなり、
何かしらの言葉にしてみる。

「私は怒った」という言葉を選んだ時、
「もやもや」=「怒り」に決定される。
でも本当にそうなのかな?と思う。

その「もやもや」は怒りではなく、
悲しかったのかもしれない、
もしくは、恥ずかしかったのかもしれない。

もやもやしたら、「もやもやする」でよくて、
それを言葉に変換すると、もやもやから遠のく気がする。