おととい、ある人からダメだしをうけた。
たしかに私はまだ未熟だけれど、
そんな言い方をしなくても...と、心が折れた。
もう帰ろうかと思ったけれど、
場の空気を読んでぐっと我慢した。
今日、Aさんが私のところに来て、
「おととい、言われてたことね、
ぼくも言われたことがありますよ。」と小声で話してくれた。
私は返す言葉が見つからず、苦笑いをした。
おととい、私の顔がひきつっていたの見られていたと思うと、
とてもはずかしい。
ダメだしって、つらいし、はずかしい。
おととい、ある人からダメだしをうけた。
たしかに私はまだ未熟だけれど、
そんな言い方をしなくても...と、心が折れた。
もう帰ろうかと思ったけれど、
場の空気を読んでぐっと我慢した。
今日、Aさんが私のところに来て、
「おととい、言われてたことね、
ぼくも言われたことがありますよ。」と小声で話してくれた。
私は返す言葉が見つからず、苦笑いをした。
おととい、私の顔がひきつっていたの見られていたと思うと、
とてもはずかしい。
ダメだしって、つらいし、はずかしい。
練習しても練習しても、
うまくなっているかどうか、わからない。
セッションに行ってみて、ためしてみるけれど、
うまくなったと思えない。
それに、私よりうまい人が来ていると、
比べてしまって、へこむ。
負けたくないから、もっと練習する。
でもまた別の「うまい人」が現れて、
練習しなきゃと思う。
私よりうまい人は無限にいるから、
きっと永遠に「「練習しなきゃ。」と思い続けるのだろう。
夕方、仕事がおわって、近所に買い物に行こうとした。
仕事のことで気になることがあって、
考え事をしながら、でかける支度をした。
マンションの階段を下りて、玄関を出た。
視界がぼやけていたが、雨上がりでモヤがかかっているのだろうと思った。
2~3分歩いて、ハッと気づいた。
「私、めがね、かけてない!」
私は強度の近視で、めがねなしではほとんど見えない。
めがねなしで外出するなんて、ありえない。
考え事をしていたから、おぼえていないが、
たぶん、セーターに着る時にはずしたのだろう。
しかし、よく、マンションの階段を下りることができたなあと思う。
めがねをかけていない自覚がないから、こわくなかったのだ。
考え事をしていたのに、足は勝手に動いていた。
足を動かしていたのは、一体誰だろう。
横断歩道のない道を渡ろうとしていた。
そこは、結構車が通る道で、
車がとぎれるのを待っていた。
とぎれるのを待っていた私の前で、
1台の車が止まってくれた。
「渡っていいですよ。」という意味だ。
私はその車に軽く頭を下げて道を渡り始めた。
渡っている間、気づいた。
私のために止まってくれた車の後ろに
3台くらい車が止まった。
(止まらざるをえない状況になっていた。)
私は、最初に止まってくれた車にだけ頭を下げたのなら、
その後ろに止まった3台にも同じように頭を下げるべき?と一瞬思った。
でも、わざわざ3台に頭を下げに行くのも変だから、
さっさと渡った。
頭は下げられなかったが、心の中でお礼を言った。
誰かに何かを言われて、もやもやとした気持ちになる。
その「もやもや」を日記なり誰かに話すなり、
何かしらの言葉にしてみる。
「私は怒った」という言葉を選んだ時、
「もやもや」=「怒り」に決定される。
でも本当にそうなのかな?と思う。
その「もやもや」は怒りではなく、
悲しかったのかもしれない、
もしくは、恥ずかしかったのかもしれない。
もやもやしたら、「もやもやする」でよくて、
それを言葉に変換すると、もやもやから遠のく気がする。